2011年05月29日

2011/5/29 伊野牧師

主の弟子になることは決して簡単なことではない。弟子となる覚悟が何よりも必要である。ルカ14章26節でイエスは群衆に向かって語りかけている。「私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は私の弟子になることができません。」と。とてもショックな内容に思える。しかし、だれよりも、さらに自分のいのちよりも、キリストを愛しますと告白できることがまず弟子になる条件のように思える。さらに、自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、私の弟子になることはできません。また、自分の財産全部を捨てないでは、私の弟子になることはできませんと続いている。自分の中心にキリストにお迎えすると、財産に縛られない人生、そして必要に応じて財産を神様のために用いることができる人生がスタートする。
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2011年05月08日

2011/5/8 伊野牧師

神の国はあなた方のただ中にあるのですと、ルカ17章21節には書かれている。ルカ13章18節には、神の国はからし種のようなものです。それを取って種を蒔いたところ、成長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りましたとある。13章全体から神の国を理解すると、神の国に入るには悔い改めなければいけないこと(7節)、実を結ぶには時間がかかり、成長を気づかないことがあること(8節)、キリストが真中におられて、驚くような奇跡がおこること(13節)、努力して狭い門から入らなければならないこと(24節)などが直接、また間接的に言及させていることがわかる。皆さんはどうだろう、私は神の国でキリストと一緒に食卓につきたいと心から願っている。私たち信仰者のこころに神の国は現実に存在する。もっともっとその現実に気づかせていただきたい。
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2011年04月10日

2011/4/10 伊野牧師

ハガイ書1:7には、あなたがたの現状をよく考えよ、とある。奇跡的に捕囚から解放されてエルサレムに帰国できた民に向かって語られている言葉である。神様のために生きたい、教会に奉仕したい、そのように彼らも思ったのかもしれない。が、地域住民の反対に出会って神殿の再建の業が止まってしまった。そして18年も経つと彼らの思いも変わってしまったようである。9節にはあなたがたはみな、自分の家のために走り回っていたとある。自分の生活も大切ではあるが、神様のみこころを求めない生き方は神様の願いではない。物に囲まれても決して心の満足の無い多くの日本人を見る。今の現状をよく考えよう。そして神様を心の中心に迎えよう。「木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、私はそれを喜び、私の栄光を現そう。」と神様が私たちに語りかけておられる。
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2011年03月27日

2011/3/27 伊野牧師

律法主義的な信仰は外からは良く見えても、神様は喜こばれない。良きサマリヤ人のたとえに出てくる祭司やレビ人を愛のない、ひどい人のように解釈する方もいる。しかし、自分が汚れないようにと傷ついた人を助けられない生き方は、実はユダヤ教の律法主義的な生き方を暗示している。何をしたら永遠の命を自分のものとできますかと問いかけたこの律法の専門家も実は律法に縛られて、異邦人とは付き合わないように努めてきたはずである。そのように律法に縛られた行き方では、本当の意味で隣人を愛することはできない。まして自分の努力で律法を守ったとしても、決してそのことで永遠の命を得ることもできない。キリストを信じ、キリストの恵みに生かされ、救いを感謝して生きることこそ信仰者の歩みである。キリストの助けによって隣人を愛していきたい。
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2011年03月13日

2011/3/13 伊野牧師

良い人間関係を作って行くことを教会では特に心がけたい。詩篇133編1節には「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」とある。幸せや楽しさを良い人間関係はもたらしてくれる。ルカ6章27節には「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」とある。愛する、善を行なう、祝福する、そして祈ることを全ての人に対して行ないたいものである。何よりも、「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」との心を持ち続けたい、そして実行したいと切に願う。しかし、相手はあなたのした行為に対して「ノーサンキュウ」という事もあることを忘れてはならない。自立した関係を築いて行こう。
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2011年02月13日

2011/2/13 伊野牧師

ヤコブの手紙3:13には「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。」とある。私たちクリスチャンは地の塩、世界の光としての生き方をするように求められている。良い言葉、良い行ないを決して軽んじてはいけない。良い言葉や良い行ないを通して神様の御名を崇めることができるからであり、私たちはそのように期待されているからである。このヤコブの言葉も、知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさいと勧めている。特に教会のリーダーや教師を目指す者は、えこひいきや差別を避けて、自分の言葉に気を配り、柔和な行ないや、良い生き方を通して神に栄光を帰することを絶えず求めていかなければならない。
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2011年01月30日

2011/1/30 伊野牧師

良い業に励もう、そして実を結ぶ者になろうとパウロはテトスへの手紙の中で書いている(3:7,8)。そのような者になり、全ての点で良い業の模範となるようにとテトスに勧めているが、それは私たちクリスチャンへのチャレンジでもある。キリストは「あなたがたは地の塩、世界の光です。」と群衆に語りかけている。それは、私たち信仰者は皆、地の塩、世界の光として生きるように召されているからである。塩は社会に溶け込んで、塩けを出す働きをする。光は周りを明るくする。決して存在を隠すことはしない。そのように私たちはこの社会で腐敗を防ぐ塩としての味を出す責任がある。また、言葉や行動で輝いて行く使命も与えられている。良い行ないを通して人々に神の存在を示し、私たちの信じる神様があがめられるようにしようではないか(マタイ5:14)。
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2011年01月16日

2011/1/16 伊野牧師

マタイ25章40節に「あなたがたが、これらの私の兄弟たち、しかも最も小さい者たちの一人にしたのは、私にしたのです。」とある。最後の審判の時に天国が約束された者たちに向かって語られるキリストの言葉である。もちろん、良い業をすることが救いの条件ではない。が、キリストを信仰を持って受け入れた者は、神に義とされ、礼拝の喜びを分かち合い、神様への感謝を隣人に向かって表すようなる。私たちの隣人とは誰であろうか。この聖書の個所は私たちの兄弟姉妹、家族、友人だけではなく、キリストのために困難の中に生きている全ての者たちが私たちの愛すべき隣人であると教えている。食べ物や飲み物を用意し、宿を与え、着るものを与え、病人を見舞う。それをキリストを愛するようにしようではないか。愛に生きる、これこそが天国人の姿である。
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2011年01月02日

2011/1/2 伊野牧師

マタイ24章45節にイエスは「忠実な思慮深いしもべとはいったいだれでしょうか」と弟子たちに問いかけている。そして、ともしびを持って花婿を出迎える10人の娘の中から5人の愚かな娘と5人の賢い娘の話をして、油を用意することの大切さを指摘している。油とは信仰者に働く聖霊であると理解できる。聖霊は思慮深さを与えてくれる。聖霊の導きの中にもっと身を委ねたいものである。次に5タラント、2タラント、1タラントを主人から預かったしもべの話をし、同じ額をもうけたしもべに、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたがたはわずかなものに忠実だったから、たくさんのものを任せよう」と主人の心が語られている。失敗してもいいではないか、神様から多くの物を委ねられて、それを神様の栄光のために忠実に用いて行こうではないか。


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2010年12月12日

2010/12/12 伊野牧師

イザヤ書9章6節には、一人の男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれるとある。キリストの誕生を預言したイザヤの言葉である。このクリスマスにキリストは不思議な助言者であり、平和の君であることを覚えて行きたい。キリストは弟子たちにもう一人の助け主を与えると約束された。その助け主がいつまでもあなた方と共におられるためである。その聖霊は神の御心を私たちに教え、キリストが語られたことを思い起こさせる。聖霊を心に迎えよう、そして聖霊の導きを求めて歩もうではないか。聖霊に導かれる者は、キリストの十字架の贖いの業を心に受け入れ、悔い改めた人生を歩むことができる。また、一つとなってこの世に遣わされ、平和を造り出す使命に生きることができる。
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